平清盛ゆかりの地。神戸、京都、三重、広島へ。

若一神社(京都市下京区)

ここでは、平清盛の別邸だった西八条殿跡の石碑が残るゆかりの地、若一神社(にゃくいちじんじゃ)を訪ねます。

広大な敷地を誇った清盛の別邸跡

若一神社若一神社は、京都市下京区にある神社です。ここは平清盛が六波羅に居住していた時期に、西八条殿という別邸を建てた地とされています。当時、この地は水源が豊かで大木が立ち並ぶ風光明媚な森で、清盛もしばしば来遊していたといのこと。この地を気に入った清盛は承安年中(1171~75年)に、別邸である西八条殿を造り居住したとされています。

その広さは、東は大宮大路(現大宮通)から西は朱雀大路(千本通)付近までをカバーしていたという、かなり大きなものだったといい、敷地内にはおよそ50もの邸があったとされています。

やがて、清盛が福原(神戸市)に移ると、西八条殿には主に清盛の妻・時子が居住していたとされています。しかし、寿永2年(1183年)7月、平家が都落ちする際、西国へ逃亡する平家一門の手によって火を放たれて焼失するという儚い最後を迎えました。現在では若一神社に西八条殿跡の石碑が残るのみとなっています。

清盛が植樹したとされる楠の大樹

若一神社若一神社で目を引くのは、なんといっても楠の大樹ではないかと思われます。もちろんこれにも伝説が残っています。そもそもこの若一神社は、西八条殿の鎮守社として建てられましたが、祭神は熊野大権現の第一王子「若一王子」です。

言い伝えによると、この若一王子の御神体は光仁天皇の時代の宝亀3年(772年)、唐から渡来して天王寺に居住していた威光上人が、人々の救済のために熊野権現の分霊・若一王子の御神体をこの地に勧請したものと伝えられます。

その後、時代の流れの中で御神体は土中に埋まってしまっていましたが、仁安元年(1166年)に清盛が紀州熊野に詣でた際、熊野権現が現れ「汝が住んでいる西八条殿には、吾が中宮若一王子の神体が土中に埋まっているので、これを掘り出して鎮守として祀れば、汝の出世を守護しよう」というお告げを受け、掘り起こし祀ったとされています。

そして、翌年の仁安2年(1167年)には、清盛は太政大臣に任ぜられます。喜んだ清盛が昇進を感謝して自ら植えたのが、他ならぬ若一神社の象徴とも言うべき巨大な楠だそうです。

この楠は昭和8年の西大路通開通整備の際、根の一部が切断されましたが、撤去作業は清盛の祟りがあるとして中止されました。結局、西大路通は楠を避けて少し西斜めに曲げて開通したというエピソードがあります。

 
平清盛ゆかりの地~平家の栄華をたどる~