平清盛ゆかりの地。神戸、京都、三重、広島へ。

来迎寺(神戸市兵庫区)

ここでは、大輪田泊の修築の際に人柱となった平清盛の小姓である松王丸と、清盛の寵愛を受けた白拍子、妓王・妓女姉妹の供養塔が残るゆかりの地、来迎寺(築島寺)を紹介します。

悲しき運命を辿った平清盛の小姓・松王丸を供養

来迎寺(築島寺)来迎寺は神戸市兵庫区島上町にあります。別名を築島寺とも言い、むしろこの別名の方が認知度は高いようです。というのも、このお寺が建立された経緯を「築島」という名が表しているからです。それは清盛が日宋貿易の拡大と福原遷都を目的として、大輪田泊の修築に取り組んだ時に起きた悲しいエピソードです。

大輪田泊は日宋貿易の拠点として重要な港でしたが、嵐や高波による被害も多くありました。そこで清盛は、嵐の被害を防ぐための人工島である経ヶ島の築造に着手します。しかし、暴風雨によって竣工直前に2度にわたって破壊されてしまいました。

そこで陰陽博士に占わせて人柱をたてることになりました。当初、清盛は30人の旅人を捕らえ人柱にしようとしましたが、清盛の小姓であった松王丸が自ら30人の身代わりを申し出て人柱となり、工事は成就したという伝説です。

この松王丸の供養を目的に建立されたのが来迎寺(築島寺)。事実なのか伝説なのかは確かめようがありませんが、築島寺という名は真実を表しているように思えます。

清盛に翻弄された姉妹も並んで供養

来迎寺(築島寺)来迎寺には松王丸とともに、妓王と妓女という白拍子の姉妹の供養塔も存在します。

妓王と妓女は、清盛が京都に滞在していた当時に評判となっていた白拍子(踊り子の一種)です。姉妹は当初、清盛の寵愛を受け愛妾としての扱いをうけました。また姉妹の出身地の近江は当時干ばつに悩まされており、清盛に願い出たところ水路が建設されたという逸話も残っています。

しかし、その後清盛は仏御前という別の白拍子に心変わりし、妓王と妓女は清盛の寵愛を失い、嵯峨野に移り尼となります。姉妹の墓所は京都の祇王寺とされていますが、清盛の人柱となった松王丸の供養塔とこの姉妹の供養塔が来迎寺に並んでいるというのは、興味深いところです。

なお、来迎寺は阪神淡路大震災のおりに大きな被害を受け、現在は鉄筋コンクリート造りの本堂に建て替えられています。ですが、3人の供養塔は歴史を感じされる風合いのまま残されています。

 
平清盛ゆかりの地~平家の栄華をたどる~