平清盛ゆかりの地。神戸、京都、三重、広島へ。

清盛塚(神戸市兵庫区)

ここでは、かつて平清盛の墓所とされていた十三重の塔・清盛塚と、能福寺にある平清盛廟(平相国廟)という二つのゆかりの地を紹介します。

清盛の死後に建てられた十三重の供養塔

清盛塚平清盛は1181年3月20日(旧暦の閏2月4日)、京都・九条河原口にあった家人の平盛国の屋敷で熱病を悪化させ死去したとされています。

 

そのとき、有名な「葬儀などは無用。頼朝の首を我が墓前に供えよ」という言葉とともに、自身の遺骸を福原に葬るようにとの遺言を残したそうです。

この話をもとに、長らく清盛の墓所と考えられていたのが、神戸市兵庫区の清盛塚です。高さ約8.5メートルの十三重の石塔で、清盛の死後、鎌倉時代の弘安9年(1286年)2月の年号が刻まれています。

しかし現在では、この清盛塚は墓所ではなく供養塔であると考えられています。というのも清盛塚は元来、現在の場所より南西11mの場所にありましたが、1922年(大正11年)に市電松原線の道路拡張工事に伴い移転されることになり、その際の調査で遺骨は発見されず、墓ではなく供養塔であると考えられるようになったとのことです。

なお、現在石塔の隣には1968年(昭和43年)に建てられた平清盛像と、清盛の甥で琵琶の名手であった平経正にちなんだ琵琶塚碑が並んでいます。

実は、清盛の墓所は現在もどこなのかが判明しておらず、歴史上のミステリーの一つになっています。

神戸の清盛塚以外にも、京都市東山区松原の六波羅蜜寺にも平清盛塚があり、同じく京都の右京区にある祇王寺にも供養塔があります。さらには山口県下関市彦島にも清盛塚があります。これらの場所は伝承などによって墓所ではないかと有力視されています。清盛ほどの人物であれば、ゆかりのある土地に分骨が行われた可能性は大いにあるでしょう。

平家一門の祈願寺でもあった能福寺

能福寺一方、同じ兵庫区内の北逆瀬川町にある能福寺には、平清盛廟(平相国廟)があり、清盛塚と同じ形状の十三重の石塔が建っています。

この能福寺は平清盛所縁の寺としても知られており、1180年(治承4年)には福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められたという縁があります。また、清盛が京都で亡くなったあと、能福寺の住職である円実法眼が遺骨を持ち帰り、寺領内に葬ったという説もあります。

こうした謎を自分なりに想像・推測するのも歴史探訪の楽しみですね。

 
平清盛ゆかりの地~平家の栄華をたどる~