平清盛ゆかりの地。神戸、京都、三重、広島へ。

平野祇園神社(神戸市兵庫区)

ここでは、平清盛が福原へ移った際に、日宋貿易の港である大輪田泊の構想を練ったといわれる神戸市兵庫区の平野祇園神社を紹介。同じく清盛ゆかりの地である「雪見御所」の跡地についても触れていきます。

清盛が日宋貿易拡大の構想を練った平野祇園神社

平野祇園神社平野祇園神社は、神戸市兵庫区の有馬道・平野交差点から六甲山の山裾へと登ったところにある神社です。境内へ向かうには長く急な石段を登る必要がありますが、その苦労(?)の先には、はるか先に神戸の海を望む絶景がまっています。この眺めこそが、清盛が大輪田泊の構想を練った際に見ていた光景です。

清盛は1168年(仁安3年)に病を患ったのを機に、京都での政務から隠居し、権力を嫡子の重盛に委譲。出家して福原に移り、病の回復に努めた後に、かねてからの念願だった日宋貿易の拡大に没頭することになります。

その拠点となるみなと、大輪田泊の構想を練ったとされるのが、この平野祇園神社のある場所です。正確に言えば清盛が構想を練った場所は、神社の裏手にあったとされる潮音山上伽寺になります。この潮音山上伽寺は現存しておらず、平野祇園神社の東側にある東福寺に受け継がれたとされています。

ちなみに平野祇園神社へ向かう途中にある平野の交差点付近では、1993年に平野祇園遺跡が発掘され、貴族の館の庭園だったということが判明しています。 発掘調査では石組みの池跡や土師器の皿、中国産の高級な陶磁器が出土したとのこと。おそらくは清盛とゆかりのある人物の屋敷で、清盛も宴を楽しんだ可能性があります。

また、清盛は同じ時期に、かねてから信仰を寄せていた安芸宮島の整備にも取り掛かっています。詳しくは「厳島神社(広島県廿日市)」のページをご覧ください。

現在は小学校となっている「雪見御所」の跡地

雪見御所平野祇園神社の南西、石井川と天王谷川の合流点にある湊山小学校は、清盛の別荘「雪見御所」の跡地であると考えられています。明治41年にこの小学校の校庭から礎石や土器などが発掘され、雪見御所の跡地であるとの説が定着したそうです。その際に、石碑が立てられました。なお、1978年の小学校建て替えに伴う調査では、新たな発見はされていないそうです。

雪見御所は清盛が日宋貿易の拡大を図る上で拠点とした場所で、莫大な財を成した地ともされています。有名な「平氏にあらずんば人にあらず」という言葉もこの当時のもの。まさに平家の全盛期を象徴する場所と言えるでしょう。

 
平清盛ゆかりの地~平家の栄華をたどる~