平清盛ゆかりの地。神戸、京都、三重、広島へ。

有馬温泉郷(神戸市北区)

ここでは、平清盛も福原遷都のおりに湯治に訪れたとされる有馬温泉郷の歴史や、同地に残るゆかりの地、さらには管理人おすすめの旅館も紹介していきます。

清盛ゆかりの史跡も残る有馬温泉郷

有馬温泉郷有馬温泉は神戸市の北区、有馬三山の麓に位置することから「関西の奥座敷」と呼ばれ、愛媛の道後温泉、和歌山の白浜温泉とならんで日本三古湯の一つに数えられています。

その歴史は古く、上記の三古湯のなかでも日本最古ではないかとされています。日本書紀には631年に舒明天皇が約 3か月滞在したことが記載されていますが、それ以前からすでに温泉として存在していたと考えられています。また奈良時代には、東大寺の建立にも関わった僧である行基が、有馬温泉郷にある温泉寺を建立したとされています。

その後、平安時代後期、有馬温泉は洪水や山津波などで一時荒廃します。ですが、1191年に吉野の僧坊である仁西上人が再興したとされています。

有馬温泉には「○○坊」という名の宿が多いのですが、これは仁西が熊野十二神将になぞらえ、十二軒の湯治宿を建てたことに由来しているとのこと。またその再建工事には、仁西に連れられた吉野の木地師に加え、平家の落人や「ゆいな」と呼ばれる平家に仕えていた遊芸の民が携わったという伝承もあります。加えて、先述の温泉寺も仁西によって中興したとされていますが、この温泉寺には清盛ゆかりの石塔が建てられています。

温泉寺に残る清盛に関する伝承

有馬温泉 温泉寺温泉寺のお堂前には、鎌倉時代末の作とされる五輪塔が2基あり、向かって左側の高い方(267cm)が清盛の石塔、右側のやや低い方(232cm)が慈心坊尊恵という僧の石塔とされています。

この二人については伝承があり、尊恵は閻魔大王に清盛が千僧供養を営んだことを伝えると、閻魔大王は清盛のことを褒める手紙をしたためて尊恵に託したそうです。蘇生した尊恵が手紙を清盛に渡すと、清盛は大変喜んだというものです。オカルト風の話しで後世の創作であると思われますが、こうした話が伝わるのも、清盛の大立物ぶりを表していますね。

そんな有馬温泉には、有名な宿屋ホテルも多くあります。本サイトをご覧になり、神戸の清盛ゆかりの地探訪に興味をもたれた方は、ゆかりの地各所を回ってから最期に有馬温泉でその疲れを癒してはいかがでしょうか。

私も神戸にある平清盛ゆかりの地を訪ねたとき、月光園というお宿にお世話になりました。純和風の「游月山荘」と和洋折衷の「鴻朧館」という2種類の施設があり、泊まると両館合わせて9ヶ所の浴場が自由に使える、温泉好きにはたまらないお宿です。料理も旬の野菜と神戸ビーフをふんだんに取り入れた、とても美味しいものでした。

そのときの様子はこちらのページで紹介していますので、興味のある方はぜひご覧ください。

 
平清盛ゆかりの地~平家の栄華をたどる~