平清盛ゆかりの地。神戸、京都、三重、広島へ。

荒田八幡神社(神戸市兵庫区)

ここでは、平清盛の弟である頼盛の山荘があった場所とされ、福原遷都の際に安徳天皇の仮住まいに使われたという伝承が残る荒田八幡神社を紹介していきます。

福原遷都の中心地であった荒田八幡神社

荒田八幡神社荒田八幡神社は、神戸市兵庫区荒田町の神戸大学医学部付属病院向かいの歩道を少し入ったところにあります。周辺にある住宅よりも3mほど高い石垣に囲まれて建立されているのが特徴です。

この場所は平清盛の弟であり、池の中納言と呼ばれた平頼盛が山荘を構えていたところだとされています。しかしそれだけではありません。この場所は言ってみれば、福原遷都の中心となった場所なのです。

平氏の伸張と安徳天皇の福原行幸

歴史を振り返って見ましょう。日宋貿易の拡大と武力の誇示によって、清盛を棟梁とする平氏一門の勢力はどんどん伸張していき、このことに対する院政勢力の不満はどんどんくすぶっていきました。

かつては協力関係にあった後白河法皇も例外ではありません。そして1179年、事態は急速に動き始めます。清盛の娘である盛子と息子である重盛が相次いで亡くなる不幸が起きた際、後白河法皇は清盛に断りなく、盛子と重盛の荘園を没収しました。

これに激怒した清盛は、福原から兵を率いて上洛しクーデターを決行。いわゆる治承三年の政変です。後白河法皇を幽閉の上、清盛の娘・徳子を母とする言仁親王を安徳天皇として即位させ、平氏の権力を反映させた政権を樹立させました。

これに対し、平家を快く思わない京都の勢力は次々と反乱を企てますが、武力に勝る清盛はこれを鎮圧。しかし、やがて清盛は有力寺社に囲まれ平氏にとって地勢的に不利な京都を放棄し、遷都を目指して福原行幸を強行します。これは敵方の反発はもちろんのこと、同じ平氏一門からも反対がありましたが、清盛が押し切ったとされています。

1180(治承4)年、清盛は自身の孫でもある安徳天皇が福原に到着すると、ひとまず清盛の弟で安徳天皇にとっては大叔父にあたる平頼盛の屋敷を行在所(皇居)とします。この場所こそが、現在の荒田八幡神社のある場所とされています。

このことから当地は福原遷都を象徴する地と見なされています。境内には昭和55年に建造された「安徳天皇行在所址」と「福原遷都八百年記念之碑」が建っています。

しかしながら、源頼朝や木曽義仲の挙兵による源氏勢力源氏の勢力の拡大や寺社・皇族たちの反発が急速に高まり、また都をつくるのに十分な土地も確保できず、福原遷都は半年ほどで終焉を迎え、平安京に還都することになります。

それからわずか1年あまりで、清盛は熱病により急死。まさに盛者必衰の理と言えます。

 
平清盛ゆかりの地~平家の栄華をたどる~